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名忘れの神

八百万の神――古来よりこの国は多くの神々が住まう地であった。天津神、土着神、付喪神。人々は自然現象をはじめとした様々なモノに神を見出し、感謝し、ときに畏れ、それらと共存しながら歴史を紡いできた。だが、そのあり方は人々の信仰心の低下によりゆらぎ始めていた。

桜家紋_edited.png

とある蒸し暑い夏の日、空にはどんよりと雲が垂れ込める中、小さな山の中を幼い少女がさまよい歩く。

「りくー?どこに行っちゃったの?もう、早くかえらないと今日は雨がふるってお母さんが言ってたのに……。どこかで”ほっさ”おこしてたらどうしよう……。」

はぐれてしまった双子の片割れを探すも、歩いても歩いても見つからず、孤独に耐えかねた琥珀色の瞳には次第に涙が溜まっていく。

「幼子よ、斯様な場所で探しものかな?」

突然の声に少女が顔を上げれば、そこには彼女よりも少し年上だろうか、青緑色の和装に水色の髪のどこか不思議な雰囲気を醸し出す少年が小首をかしげて佇んでいた。

「あなたは……?」

「僕は御井神(みいのかみ)と呼ばれる者だ。君は?」

「ボクは葉紅(はく)だよ。そう、さがしもの……黎紅(りく)、ふたごの弟がね、いなくなっちゃったの。体よわいのに、さがしてもさがしても見つからなくて……。うう……っ」

ついに葉紅の瞳からは涙が溢れだす。それに対し御井神はふむ、と少し考えるような素振りを見せると、葉紅の手を取った。

「では僕が手伝ってあげようか。この山は僕の庭のようなものだからね。」

御井神の自信有りげな様子に、葉紅の顔がぱっと明るさを取り戻す。

「ほんとうに……!?でもどうやって?」

葉紅の疑問に、さらりと答えて見せる御井神。

「空から探せばすぐだろう。さ、乗りなさい」

そう言うやいなや少年の輪郭がゆらぎ、青白い光りに包まれながら長く伸びていく。光が収まると、そこには白銀に煌めく鱗に水色のたてがみを持つ龍がいた。葉紅が龍の背中にまたがると、ふわりと宙へと浮き上がり、あっという間に地面から離れていく。

「わあ、高い……。」

「怖いかい?」

「ううん、だいじょうぶ。ええと、黎紅は……」

葉紅は気遣う御井神に気丈に答えると、地上に目を凝らす。山の麓の池の畔に、小さな少年の姿を見つけた。

「いた!お池の近く!」

「なるほど、丁度祠の近くだね。そこに降りようか」

御井神はまたたく間に池の近くまで飛んでいくと、葉紅をそっと下ろす。

「黎紅!こんなところにいたの?」

黎紅と呼ばれた少年は泣きはらした顔を上げる。

「葉紅……?」

「よかった、ぶじで……だいじょうぶ?」

葉紅が黎紅を抱きしめると黎紅の頬に安堵の涙が伝う。

「急にすがたが見えなくなったから……。って葉紅、後ろの子は?」

黎紅は葉紅の後ろに立っていた、いつの間にやら龍の姿から少年の姿に戻った御井神に目を向けた。

「ああ、僕かい?」

「この子は御井くん。黎紅をさがすのをてつだってくれたんだよ。ほんとうにありがとうございますっ」

葉紅は黎紅に御井神を軽く紹介するとぺこりと彼にに頭を下げる。

「いやいや、迷い子に当然のことをしたまでだよ。そうだな、代わりと言っては何だが、そこの祠に参拝していっておくれ」

御井神は祠に触れる。

葉紅と黎紅は二拝二拍一拝で祠に参拝すると、雨が降り出す前に家路につくのだった。

−−

それから時は流れ――

雲一つない秋晴れ空、日差しが傾いていく金色がかった光の中、小さな山の麓の道を、二つの影が通り抜けていく。

「この道通るの久しぶりだね。」

腰ほどまである栗色の髪を揺らし、カッターシャツとスカートの制服に身を包んだ少女が声を弾ませる。頭部の右側にくるりと一房だけ跳ねたくせ毛に、よく見れば左右でわずかに色差のある琥珀色の瞳が印象的だ。彼女の名は風波葉紅(かざなみはく)。

「昔はよくこの辺りで遊んでたもんな。」

葉紅の声に応じたのは、肩につかないくらいの栗色の髪に、カッターシャツ、ズボンの制服姿の少年だ。彼らが対の存在であることを示すように、こちらは頭部の左側に一房はねたくせ毛、左右でわずかに色差のある青蛍石色の瞳が印象に残る。彼の名は風波黎紅(かざなみりく)。葉紅の双子の弟である。

「そうそう。黎紅が迷子になってここの神様に探すの手伝ってもらったっけ。」

「元気にしてるかな?……って、人間が神様の心配するのもおかしいか」

過去、10年近く前の出来事に思いを馳せる。

「そうだ!久しぶりに会いに行ってみようよ!わたしたちのこと、覚えててくれてるかな。」

「どうだろうな。……祠ってもう少し山の中だっけ」

山の中へ歩き出した二人の足元で、ぱきり、と桜色の欠片が散った。

「ねえ黎紅、今の……」

「ばーちゃんちの敷地に入ったのと似た感覚だったな。まさか……でもなんでこんなところに?」

訝しむ二人の周りの景色が一瞬ぐにゃりと歪む。空間の歪みから銀色の鱗に青緑色のたてがみの龍が飛び出してくる。

「え、御井くん!?」

見間違うはずがない、過去自分たちを助けてくれた御井神の龍の姿である。だが、様子がおかしい。風波双子に気づく様子もなく、滅茶苦茶に暴れまわっているのだ。

「ねえ、どうしたの!?わたしたちのこと、判る!?」

葉紅の叫びも虚しく、荒ぶる龍は葉紅に向かって突っ込んでくる。

「葉紅!危ない‼」

黎紅は葉紅を庇おうとするがとてもではないが間に合わない。次の瞬間、乾いた銃声が響くと龍の身体が地面に引き寄せられるように落下した。

「そこの二人!今すぐその龍から離れなさい!」

若い男の声が響く。物陰から姿を表したその男は、純白の長髪を三編みでまとめ、柘榴石色の瞳には剣呑な光が宿っている。

「まったく、何故一般人が結界内に迷い込んでいるのか……」

男はやれやれと頭を振ると風波双子を見やる。

「司ちゃんが結界張るときに何かしくったんじゃねーの?」

白髪の男の後ろからもうひとり、金茶の短髪をツンツンと立たせた男が現れる。翡翠色の瞳を細めて風波双子に微笑んだ。

「……お嬢ちゃんたち、危ないからちょーっと隠れててね?」」

「まさか、貴方であるまいし」

「相変わらず辛辣ぅ〜」

「軽口叩いている場合ですか。来ますよ」

「へいへい、ちゃっちゃと片付けますかね」

「貴方の力を借りるまでもない。私一人で十分です」

男二人が軽口を叩きあっている間にも、龍は身を捩らせ、長い尾で攻撃を繰り出してくる。それを二人は常人では考えられない身のこなしで避けていく。

金髪の男は大きく飛び退き、龍と葉紅たちの間に着地すると、牽制するように身の丈ほどもある大鎌を地面へと突き立てた。

「まあ見てなって。これでも司ちゃんは無駄に場馴れしてるからね〜」

「オレたち、あんたたちの心配というよりは、その……」

「うん?」

--

オートマチック型の銃を持った白髪の男が威嚇射撃のように地面に向けて発砲すると、迫りくる尾は先程と同じように地面へと叩きつけられた。

「終わりです。」

白髪の男は地面に縫い付けられたように動けなくなった龍に銃を突きつける。

「待って、殺さないで!」

葉紅が龍を庇うように白髪の男との間に割り込む。白髪の男はじとりと金髪の男に抗議じみた視線を向けるが、金髪の男は軽く肩をすくめるばかりだ。

「……殺しはしませんよ。」

「だって、今終わりって。」

白髪の男は呆れたように息を吐くと、言葉を続ける。

「この弾には特殊なまじないがかかっていましてね。そこの暴走している龍神を正気に戻すためには仕方のないことです。そこを退きなさい。」

「本当に、殺さない?その子、昔わたしたちを助けてくれたの」

葉紅の言葉に金髪の男がにい、と口角を上げる。

「その神さまとお友達なんだとさ。ま、司ちゃんは嘘”は”つかないからねー。という訳で、お嬢ちゃんは安心して横で見てて?」

不承不承といった様子ではあるが、葉紅が身を引くと、白髪の男が手にした銃に桜色の光が収束していく。

「峰梁の名の許に、信仰を取り戻せ!名忘れの神よ!!」

放たれた銃弾が龍の身体に着弾すると、まばゆい光が辺りを包んだ。龍の姿がゆらぎ、少年の姿に变化する。瞳に光の戻った御井神が口を開いた。

「おや、いつぞやの双子ではないか。それに名も知らぬ青年方。貴殿たちのおかげでこうして正気を取り戻せた。手間をかけたね。礼を言う。ありがとう」

「御井くん!よかったあ……」

葉紅が御井神に抱きつくと、小さな手のひらで背中を撫で返してくる。

「本当に良かった。御井さん、オレたちのこと覚えててくれたんだな」

「ああ、覚えているとも」

再会を喜び合う風波双子と御井神の様子を眺めながら、白髪の男は思いを巡らせる。

(あの二人の瞳の色……まさかとは思うが。それに結界を抜けたあの体質、もしかしたらあの二人であれば――)

「なーに考え事してんの、親友?」

「別に。貴方には関係のないことです」

「出た、司ちゃんの関係ない発言!俺はそーいうの良くないと思うけどな〜」

「あの……」

二人の男に葉紅がおずおずといった様子で声をかける。

「あなた達のこと誤解してすみません。御井くんのこと、ありがとうございました」

「オレからもお礼を言わせてください」

「いや〜それほどでも」

「貴方は別に何もしていなかったでしょう」

謝礼を述べる風波双子に対しておどけたように照れて見せる金髪の男に間髪入れずに白髪の男がツッコミを入れた。

「まあ、怪我人がでなくて良かったですが。さて、本題に入る前に名乗りくらいしておきましょうか。私は如苳司(ことぶきつかさ)といいます。で、こちらの木偶の棒が神埼昴流(かんざきすばる)」

「司ちゃん、いっつも思うけど俺に当たり強くない!?」

昴流の悲痛なツッコミを無視して司は話を続ける。

「貴方がたは霊感があるようなので信じていただけるとは思いますが、私たちは峰梁神社という神社からの依頼で先程のように正気を失った神々を助けたり無法者の妖怪や悪霊を退治したりしている者です」

「そうそう、怪しい者ではないわけよ。で、よければだけど、二人の名前も知りたいな〜」

司と昴流のコントのような様子に黎紅はくすりと笑うと葉紅に目配せをする。

「オレは風波黎紅です。こっちは双子の姉の葉紅」

「よろしくお願いします。それで、本題って……?」

真面目に自己紹介を返してくれる風波双子に昴流はにっと笑う。

「葉紅ちゃんに黎紅くんね。二人ともそんなに畏まらなくてもいーよ。なんなら敬語じゃなくてもいいし。本題については司ちゃんからしてもらおうか」

「ええ。先程話した神々や妖怪との戦いをこれまでは私と神崎の二人でこなしていたのですが、近頃急激にそれらの怪異の件数が増えていまして、正直人手不足という状況です。そこで、霊感の強いように見受けられる貴方たちにぜひ力を貸していただけないかと思いまして」

司からの突然の要請に、黎紅と葉紅は戸惑いの表情を浮かべた。

「でもオレたち、戦ったことなんてないし、運動神経も普通だし。協力って言われてもな……」

「そこは安心してください。峰梁神社に協力していただるのであれば、こちらの”心魂札”が授与されますので」

司は手に持っていた紫紺色の玉の付いた木札を黎紅と葉紅に見せると、それに霊力を込める。すると木札が桜の花吹雪のような光に包まれ、司の手には先程の戦闘時に使用していたオートマチック型の拳銃が握られていた。

「このように、心魂札に霊力を通すと持主の心に呼応して武器が励起されるのです。そしてそれに付随して使用できるようなる異能や運動能力の向上などの加護も付与されます。私の異能は重力操作。この銃弾が被弾した場所の重力を操る事ができます」

「ちなみに俺の異能は空間裂きでさ、いわゆる瞬間移動みたいなことができるんだぜ。で、司ちゃんってば便利だからって俺のことタクシー扱いしてくんのよね〜」

困ったもんだと昴流が肩をすくめて葉紅と黎紅に向き直る。

「ってことで、戦う力はうちの神様から貰えるから心配しなくていーよ。実際のとこ、最近二人だけだとホントキツくてさ、人助けだと思って!このとーり!」

「うーん、そこまで困ってるならわたし、協力してみたいな」

手を合わせてお願いポーズをしてくる昴流に対し、葉紅は協力の姿勢を見せた。

「マジで!?葉紅ちゃんマジ天使!!助かる〜。黎紅くんはどうする?」

「オレは危ないことは嫌なんだけど、葉紅が乗り気なのを放っておけないしな……」

「まあ、危なくなったら逃げても別にペナルティがあるとかじゃないし、任務終わったらお給料も出るし、悪い話じゃないと思うんよね」

「まあ、それなら……」

渋々、といった様子の黎紅だが昴流の説得に流される形で了承した。

「では、決まりですね。期待していますよ。葉紅さん、黎紅さん」

「じゃ、峰梁神社にいこっか」

昴流が空色の玉のついた心魂札に霊力を込めると大鎌が励起された。それを振るうと空間に裂け目ができた。昴流の先導でその中を通り抜けると、朱塗りの鳥居の神社が姿を現した。ここが峰梁神社――。

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とある山中の小屋の縁側に腰掛ける人影が呟く。

「あの子たちが峰梁神社に?そう。私も早くここから出たいものね。そろそろ力も戻ってきてるし?」

ざわり、と人影に九本の尾の影が加わる。

さあ、もうじき、この結界も――。

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